2015年10月8日木曜日

セーラー服はなんですか

セーラー服(セーラーふく)は、セーラーカラーと呼ばれる、独特の形状をした大きな襟が特徴のトップス。世界中で海軍の軍服として使われ続けている他、19世紀後半から20世紀初頭にかけて子供服や女性のファッションとして世界的に流行した。また、その頃日本で採り入れられ、使用され続けてきたセーラー服タイプの女子学生の制服は、コスプレ文化と共に"Sailor fuku" の名で世界中に広がっている。旧日本海軍では、軍服としてのセーラー服を当初「水火夫服」、後に「フロック」と称し(明治8年11月12日太政官第168号布告別冊)、イギリス人を意味する「John Bull」から「ジョンベラ」とも呼んでいた。
セーラー服は、19世紀に水夫(セーラー、英語:sailor)の甲板衣として誕生した。セーラー服の特徴である大きな襟の理由については、甲板上で風などの影響によって音声が聞き取りにくいときに襟を立て集音効果を得るためなど諸説あるが、定かではない。セーラー服が出来た頃の船乗りの間では、長髪を後ろで括ってポマードで塗り固める髪型(タール漬けの豚の尻尾)が流行していたが、船上ではなかなか洗濯が出来ないので、後ろ襟や背中が脂やフケで汚れを防ぐためという説もある。しかし、イギリス政府のサイトでは、”豚の尻尾”は1815年以降急速に廃れ、記録に残っているのは1827年が最後であるのに対し、大きな襟が現れたのは1830年以降なので、”豚の尻尾”とセーラーカラーが共存していた時期はないと指摘している。更に同サイトでは、初期の襟は円形であったが、男性が自分で繕うのに簡単なため、方形になったとしている。
また、現在のセーラー服の襟は、カラーとラペルが連続して胸元がV字型となっているものが多いが、19世紀のフランス海軍の制服のセーラー服にはラペルに当たる部分が切り欠かれており、胸元がV字型になっていなかった。アメリカ海軍が最初に使用したセーラー服もこのタイプで、子供服にも見られた。
襟の形状が特徴的な衣服であり、本来は水兵(sailor)が着用するトップス(上半身に着用する外衣)である。現在はこのトップスの特徴を踏襲した女子用学校制服の上着とスカートをまとめて指してセーラー服と呼ぶことが多い。
独特の形状をした大きな襟はセーラーカラーと呼ばれ、大きな特徴である。襟を正面から見ると、首の両脇、両肩、胸元を結んだ2つの三角形の形であり、背後から見ると、肩幅に近い長方形がぶら下がっている形である。セーラー服の襟がこのような形状をしている理由は諸説あり、定かになっていない。
正面の胸元は大きく開けており、逆三角形の形となっている。これは、服を破ることを考慮した形状である。(ここで言う服を破る行為は、もちろん海に落ちた水兵が服を脱ぎ泳ぎやすい格好になるためのそれであり、いかがわしい何かではない。)
装飾として、胸元にスカーフやタイを着用することが多い。
日本ではセーラー服は女子の学校の制服として定着した。大きな襟が特徴の服。現在、現実ではブレザー勢に押されつつあるがオタク文化系では人気の萌え属性の一つである。
元々は船乗り・水兵(Sailor)用の服であり、実際に日本に入ってきたのも海軍経由である。現在も海上自衛隊の「制服」だったりするのはちょっとした豆知識。また、大日本帝国海軍の艦船擬人化である艦娘の服装も、大半がセーラー服ベースである。
ちなみに大きく開いた胸元は逆三角形の形をしており、溺れた際にすぐに服を破き、泳ぎやすくなるために服を脱ぐためである
また広い襟の部分は本来は襟を立てて遠くの船から発せられる声を聞きやすくする為のものという説がある。
他にも「汚れ(フケ)よけ」説などがあるがもちろんこれらは「水兵の制服」としてのセーラー服が持っていたとされる機能である。
1980年代の校内暴力・いじめなどの時期に、いわゆるスケバンなどの不良生徒が踝までを覆うほどの長いスカートをはいていたことから、長いスカートを一掃させるために制服をブレザーにする学校が続出。受験によって進学先を選べる場合は特にブレザーの学校に優秀な生徒が集まるようになったことから加速度的にセーラー服は減っていった。
校内暴力などとは縁のないお嬢様校などは伝統を頑なに守ってセーラー服を貫いた(特に都心部の女子校に多い)ため、現在では却って名門校、お嬢様校のシンボルとしての意味合いが強くなっている。

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